20歳の私・岡田徹@万里の長城。
大学2回生(当時の関西では、「年生」ではなく「回生」。今も?)の夏休みに中国に貧乏旅行に出かけました。
約40日間のアドベンチャー。
『ツタエル通信』のコラムの記事に書くのに、実家から写真を送ってもらったところ、当時アルバムにまとめてたんですねー。(表紙が中国国旗に。やることマメ!)
見入ってしまいました。
東京外国語大学現役学生・中国語専攻の石橋くんもアルバムに食いついてきました。
「これはな・・・」
「この時な、ケンタッキーがファーストフードで唯一中国全土で1ケ所だけあって、天安門広場の隣りの・・・」
20歳の時のことを楽しそうに説明する今月47歳・岡田。
仕方なしに聴く?、今日事務所で二人きり22歳・石橋。
ここから想い出のアルバム。
神戸港から船で2泊3日で上海へ。
水面が茶色いのは、到着直前、揚子江河口付近を少し遡っているところだと思います。
宿泊はすべてドミトリー。雑魚寝部屋ですね。
当時、中国人と外国人が泊まるホテルは厳格に分けられていました。
同室になる人は、日本の学生半分、欧米の人半分って感じでした。
映画『ラストエンペラー』のちょっと後くらいの時期でした。
映画のお陰で、北京で故宮(紫禁城)は興味深く観れました。
西安のホテルのトイレで用を足してる最中に知り合ったカナダ人・スティーブ。
4歳年上で大学卒業後、ヨーロッパからアフリカ経由で陸路・東へ向かいながら1年以上旅行中に遭遇。
意気投合し、彼が同じ部屋にわざわざ移ってきました。
その後も交流が続き、
2年後にカナダ・トロントの彼の自宅に1週間泊まらせてもらいました。
今頃どうしてるんでしょう?
食事は、毎食必ず現地の人が使う食堂で。
常にお腹を壊している状態で、旅行中6キロ痩せました。
それでも、広州だけはちょっとキツかったですね。
(心臓の弱い人は、次の写真はパス!してください)
←広州の市場の風景。
鶏の皮のはいだやつは当たり前。
「老猫」、「赤犬」、得体のしれない哺乳類の数々。皮をはいだものが通り沿いに延々続く商店の軒先にズラーっとぶら下がっています。
これらを買い物客が自転車のハンドルにぶら下げて帰っていくのが普通の光景でした。
左下、生きてるヘビを路上で捌いているところ。
ヘビのコースは食べてみました。
広州から船で香港(当時イギリス領)に抜けた時はホッとしました。ホテルは、パイプ2段ベッドで監獄のようなところでしたが。
街を歩いていても緊張感からなんとなく開放され、資本主義社会と近代文明の快適と安全のありがたさを感じました。
特にマックシェイクを飲んだ時は幸せマックス。(2枚目写真)
「うめぇ~」
「ビバ!マックシェイク!」
・・・と、
想い出に浸っていると、
「これ、1枚1枚すごく面白いですよ」と石橋くん。
アルバムの最後に挟んであったメモ。
旅行中、中国の人たちとコミュニケーションした形跡の筆談のメモ。
※ちなみに、当時も今も、私は中国語も英語もほとんど話せません。
さすが、中国語専攻の現役大学生。
メモの内容をどんどん解読していきます。
「これは、食堂で料理を注文した時のメモですね」
「なによりも凄いのが、そのメモの裏に「ごはん粒」が一粒付いてました。」
すげぇ~!
27年越しの大発見!
この旅行で経済発展夜明け前のエネルギーを感じられたことは、自分の人生の中で本当に財産になりました。
そろそろまた冒険、刺激が必要な頃かな。
おおおおおーーーっつ、スティーブ!
行ったね、トロントへ。
岡田氏とのアメリカ旅行が私のアメリカ留学に至る原点。
あれがなければ今の私は存在しません。
今更ながらですが、あの青春時代にアメリカ珍道中に誘ってくれたことに感謝です!
>白井賢一郎さま
行ったとき、「Oh,Ummm……」しか話せなかった人が(その代わりに身振り手振り、オーバーアクション!)、その後ボストン(だっけか?)に居ついて、のちに嫁さんになる人まで見つけてくることになるとは夢にも思わなかったワ(笑) 人生とか運命って、ふとしたことで「なかったはずの道」が「今ある己の道」になってくのが不思議。
近々、息子と2人旅で、想い出のロス&グランドキャニオンに行ってきます!(但し、仕事の段取りがつけば…)
>白井賢一郎さま
追加・思い出した!
「Oh,Ummm……」しか言わないんで、スティーブから“Dangerous Ken”って呼ばれてたやん(笑)
そう、ボストンで20代の半分を過ごした。
いいね、息子と行けるなんて。
彼にとっても、今後の人生において大きな意義のある旅になるだろうね!
行った際は是非旅の話を聞かせてください。
グランドキャニオンのゲートシティー、フラグスタッフの田舎町の光景が今でも思い出される。
素晴らしい旅だったね。
せっかくだからモニュメントバレーまで足を運んでほしいな。
グランドキャニオンは雄大な眺めそのものを見渡すだけだけど、モニュメントバレーは自分の足でその大自然の中へ踏み込める。
岡田氏と行った後の翌年に行ってみたけど、圧巻でした!
ウチの坊主はまだ6歳なので、そんな親子旅がうらやましいね。
スティーブ、そんなこと言ってた??
全然覚えてない………..
何を持ってDangerousと言ってたんか??
その後留学先の語学学校では『Crazy Ken』と言われてた。
大阪弁にすると、『アホ!』ってことか!
トロント土産に覚えたバナナボートソング。
Daaaaaayoo! Dayoyoyo!