嫌われる勇気

深い示唆に富んだ1冊でした。
今までの人生で読んだ本の中で、いきなりのベスト20入りします。

あまり内容を知らずにアマゾンのレビューの星の数で買った本だったのですが、「心理学」の本であり「哲学」の本でした。

これまで心理学や自己啓発で読んだことのある本とは、その主張が一線を画す内容でグイグイ引き込まれました。

一般的に「心理学」といえば、ユング、フロイトという方々から始まった教えの学問のことを言うそうなのですが、この本はアドラーという方が唱えた心理学の解説で、従来の考え方とはちょっと違うようです。

青年と哲人の会話、問答形式で、とっつきにくい話がわかりやすく読めます。

 哲人:わたしの答えは変わりません。世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。
 青年:なぜです? 誰がどう見ても矛盾に満ちた混沌ではありませんか?
 哲人:それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものにしているのです。
 青年:わたしが?

なんとなく今まで違和感があったものが、一気に納得がいくことがありました。

従来の心理学は「原因論」。
原因があるから結果がある。
・・・私もそう思っていました。

ところが、アドラー心理学は「目的論」。
人は、実は自分で先に結論を決めている。過去の劣等コンプレックスをその言い訳に使っている。

例えば・・・、

赤面症で恋人ができない。

「赤面症」が原因で、だから「恋人ができない」が結果のようですが、
実は、「恋人ができない」という結論を本人が先に決めていて、その言い訳に「赤面症」を使っているということだそうです。

イジメが原因で引きこもりになった。
仕事が忙しくて結婚相手が見つからない。

これらもアドラーに言わせると、全部逆だそうです。

アドラー心理学は「勇気の心理学」。
ことあるごとに勇気を持つこと、変わることを促します。

“人の幸せ”の考え方が、「役立高」とほぼ近いことで共感できました。
が、過去のトラウマを否定すると同時に、未来の目標も否定している点は、咀嚼しきれていない部分もあります。

人生は連続する刹那であり、過去も未来も存在しません。あなたは過去や未来を見ることで、自らに免罪符を与えようとしている。過去にどんなことがあったかなど、あなたの「いま、ここ」にはなんの関係もないし、未来がどうであるかなど「いま、ここ」で考える問題ではない。「いま、ここ」を真剣に生きていたら、そんな言葉など出てこない。

~目標があるから頑張るのではなく、「いまここを真剣に生きる」ことが大事。

以下、印象に残ったフレーズを自分の備忘録として書き留めておきます。

あなたが変われないでいるのは、自らに対して「変わらない」という決心を下しているからです。
つまり人は、いろいろ不満はあったとしても「このままのわたし」でいることのほうが楽であり、安心なのです。

あなたがいま、いちばん最初にやるべきことはなにか。それは「いまのライフスタイルをやめる」という決心です。

あなたは他者から否定されることを怖れている。あなたの「目的」は、「他者との関係のなかで傷つかないこと」なのです。

劣等感そのものを先鋭化させることによって特異な優越感に至るパターン、具体的には不幸自慢です。不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。怪我をしたとき、失恋で心に傷を負ったときなど、少なからぬ人がこのような態度によって「特別な存在」であろうとします。

健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。

「お前の顔を気にしているのはお前だけだよ」

「自由とは、他者から嫌われることである」
他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由にはなれないのです。

すべての悩みは対人関係の悩みである。

対人関係のゴールは「共同体感覚」。
他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

「他者からどう見られているか」ばかりを気にかける生き方こそ、「わたし」にしか関心を持たない自己中心的なライフスタイルなのです。

「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体へのコミットです。所属感とは、生まれながらに与えられるものではなく、自らの手で獲得していくものなのです。

変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵

われわれはなにかの能力が足りないのではありません。ただ“勇気”が足りていない。すべては“勇気”の問題なのです。

対人関係のカードは常に「わたし」が握っている
わたしが変わったところで、変わるのは「わたし」だけ

あなたがその人との関係をよくしたいと思わないのなら、ハサミで断ち切ってしまってもかまわない。断ち切ることについては、あなたの課題なのですから。

社会(共同体)の最小単位は、「わたしとあなた」

叱ってはいけない、ほめてもいけない。
他者を「評価」しない。
人は感謝の言葉を聞いたとき、自らが他者に貢献できたことを知ります。
「人は、自分には価値があると思えたときだけ、勇気を持てる。」

共同体、つまり他者に働きかけ、「わたしは誰かの役に立っている」と思えること。他者から「よい」と評価されるのではなく、自らの主観によって「わたしは他者に貢献できている」と思えること。そこではじめて、われわれは自らの価値を実感できるのです。

他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値を実感するためにこそ、なされるものなのです。

自己受容、他者信頼、他者貢献、この3つはひとつとして欠かすことのできない、いわば円循環構造として結びついています。
ありのままの自分を受け入れる―つまり「自己受容」する―からこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。

行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること
この行動を支える心理面の目標
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識



なぜ、あなたはいつまでも変われないのか?
なぜ、あなたは劣等感を克服できないのか?
なぜ、あなたは他人の人生を生きてしまうのか?
なぜ、あなたは今、幸せを実感できないのか?

その答えが↓ここに。

嫌われる勇気” への3件のコメント

  1. わたしは小学校6年生の時、友達に無視されました。
    「人に嫌われた=恐怖」それからというもの
    嫌われないよう、傷つかないように生きてきました。
    今そんな自分が嫌で、がんばってるのにうまくいかない。
    ならば?! 勇気をだして今までの行動と逆の行動をしています。
    「頑張らない」ということ。
    「やりたいことだけやる」「断る」「言いたいことは言う」
    ん~怖い!!

    • >清藤さま
      なんとなくチーターの「三百六十五歩のマーチ」を思い出しました。

      しあわせは 歩いてこない
      だから歩いて ゆくんだね
      一日一歩 三日で三歩
      三歩進んで 二歩さがる
      人生は ワン・ツー・パンチ
      汗かき べそかき 歩こうよ
      あなたのつけた 足あとにゃ
      きれいな花が 咲くでしょう
      腕を振って 足をあげて
      ワン・ツー ワン・ツー
      休まないで 歩け ソレ
      ワン・ツー ワン・ツー
      ワン・ツー ワン・ツー

  2. 岡田さんの発想、笑顔になります。だから私は好感持てるんです。ありがとうございます。(⌒▽⌒)

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