先日、「嬉しい」と心が動いた出来事がありました。
このなんでもない階段。
この話をしても心が動くのは私だけかもしれないです。
でも、少なくとも私の心は動かしてくれた階段なんです。
実は、
心を動かしてくれたのは階段そのものではなく、事務員のH田さん。
仕事(長野県のY建築のY社長とチャットでやり取り)をしていると、
おもむろに寄ってきてなにか言いたげ・・・
「以前、山口さんが言ってた階段の汚れ、
磨いてみたんですけど、見てもらえます?」
おぉ!!
以前よりもキレイになっている!!
(ような気がする 笑)
以前から気になっていたんですよね。
たまに、拭き拭きしてみたんだけど全然とれない。
その様子を見ていてくれたんでしょうか。
H田さんが洗剤やら重曹やら良さげな方法を、
【自主的に】調べて【自主的に】拭き拭きしてくれたんです。
「嬉しい」
おおげさでなく心動かされました。
心を動かされたのは、
もちろん階段がキレイになったことではなく、
H田さんの行動に、です。
■自主的な行動が感動を生む
人の心が動く時というのは、
元々もっていた「期待」を上回った時と言いますが、
今回のH田さんの行動は、
本来やるべきと決まっている掃除箇所の範囲を超えて、
【自主的】にやってくださった行動でした。
決まってやる掃除箇所=元々もっていた期待
+αでやった掃除箇所=期待を超えるから心が動く
と、山口の期待を大きく超えていただいたので「嬉しい」と心が動きました。
(なので、冒頭、この階段は僕しか心動かないかもと言いましたが)
し・か・も・・・ですね。
後々この話を記事にしようと考えて、
この事象を分析した時に辿り着いたことなのですが、
実は山口、本当は「掃除をしてくれたこと」に
「心を動かされた」わけじゃなかったかも!? って思ったんです。
では一体、何に心を動かされたのか?
それを最後にお話しして今回のブログは終えようと思うのですが、
この話は、
特に「奥ゆかしい」タイプの社員さんが、
シャインになる(輝く)ため、損をしないための方法としてとても有効なことなので、該当の方、ご興味ありの方は、ぜひご一読いただきたいと思います。
■伝えるから、相手が気づく
よくよく考えると、
「嬉しい」と感じたのは、H田さんが、自分の行動を僕に「伝えてくれた」ことであることに気づいたんです。
もちろん、階段掃除をしてくれたことも嬉しかったしました。
その上、さらに「そのことを伝えてくれた」ということで、
キレイになって嬉しいという物質的な嬉しさに加えて、
H田さんの心遣いに嬉しく思うという感情的な嬉しさが加わった気がしたんです。
これってすごく大事だと思いません?
僕をはじめとした「奥ゆかしい方」って、
良いことやっても、言わないじゃないですか。
(お前は奥ゆかしいんではなくて腹黒いだけだろ!)
変なツッコミが聞こえてきましたが、続けますね(^^)
奥ゆかしいを美徳とするなら、
もちろんそれでいいのですが、
でも、コミュニケーションとしてはいま一歩もったいないと思うんですよね。
言わないと、
相手が気づかないか、物質的な喜びで終わってしまって、
せっかくの想いが伝わらなくて「ありがとう」のコミュニケーションが生まれなくて、最終的にはその行動からは「何も生まれなくて」終わりみたいなことになりがち。
実はそれが「美徳」って思いきれていない場合、あの人は全然私のことをわかってない! なんていう不満分子の小さな一つにすらなりかねません。せっかくいいことやってるのに、です。
電車で席を譲る時に、
「どうぞ」と言わず、シレッと席を離れて席をあけるパターン。
席に座る人はお礼を言いたいのになんか言えずもどかしく座る感じ。
(この場合は、知らない人と話したくない・・・とか、
譲る側の気持ちも考えるとアリだとは思いますが)
伝えないと、わからない。
伝えてくれると嬉しい。
ってわけです。
いかがですか?
少し文章がダラダラ気味なのは、ブログということでお許しください。
もし、このブログを読んだあなたに、
「この人に喜ばれたい」という人がいたならば、
■自主的な行動が感動を生む
■伝えるから、相手が気づく
を意識するとその素敵な想いは伝わるかもしれません。
・・・アナタに思われているその方、幸せですね(^^)
と、言うわけで今日は朝イチで、
コインランドリーの玄関のお花に水やりをしました。
「水やりをしました!」
「山口が、水やりをしましたよ~」
「ほら、水滴がついてキレイに見えるように、
中だけでなく表面にも水をやりましたよ! 山口が!」
注)水やりのくだりは参考にしてはいけません。
水やりは「お願いね」と、頼まれた仕事。
そしてそれを期待どおりに遂行しただけなのにするアピール、ただの「やったぞアピール」をする山口のような残念な人間にならないように気をつけてください。
上記は業務上、当たり前に必要な「報告」と言います。