スポーツの秋。
プロスポーツの多くが、シーズンのクライマックスを迎える時期ですね。
そんなことを思いながらふとニュースに目をやると「松本山雅J1昇格」の文字が。おぉ、そうだったのかと思い出すと、松田直樹さんを思う、田中隼磨選手の話題が。
(とりあえず、この話進めますね)
大学時代、山口はJリーグや日本代表サッカー場を中心に、スタジアム警備・誘導のアルバイトをしていました。
特に、地元神奈川、横浜での試合が多く、横浜F・マリノスもゆかりのあるチームの1つでした。
そんな当時、横浜F・マリノスで主力として活躍していたのが、松田直樹選手、その弟分が、田中隼磨選手でした。
特に松田選手は自分が同じ誕生日なこともあり、好きな選手のひと一人でした。マリノスを出て山雅に行った時も衝撃でしたが、若くしてこの世を去った時も衝撃でした。
松本山雅を知ったのは、松田選手がきっかけでした。当初は、J1に上がるような実力のチームじゃなかったような気がします。
ちょっと見ない間にこんなにも強くなっていたんですね。
そして、こんなにも多くの人に愛され(観客動員が凄い!)るチームになっていたんですね。
いろいろなニュースを見ながら、田中隼磨選手はもちろん、いろいろな人の想いに心打たれました。想いがこもっっているって、素敵なことですよね。
3という数字は、松田選手から田中選手に引き継がれた背番号。
そして、今の監督である反町監督が就任してから3年目のシーズンだということことです。
史上最多の3チームをJ1昇格に導いた監督。いい仕事しますね。
想いを込めた仕事で結果を出す。
想いを込めて、結果が出るまで応援する。
すっごく心打たれた、クライマックスでした。
▼「3」を背負った田中隼磨の「覚悟」…そして明かされるJ1昇格の「代償」http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141102-00246963-soccerk-socc